epiphany

Drink Deep, or Taste Not the Pierian Spring

沖縄タイムス

2021年9月23日 14:37

 

死刑の米兵、仮釈放されていた 沖縄の幼女殺害 「政治の犠牲」と主張 米政府は墓石を提供

 
2021年9月23日 14:37
米軍基地・安保

 【ジョン・ミッチェル特約通信員】1955年に嘉手納村(当時)で幼女暴行殺害事件(由美子ちゃん事件)を起こした米陸軍のアイザック・ハート軍曹が事件から22年後の77年、米本国で仮釈放されていたことが分かった。それ以前に死刑から収監45年へ減刑され、仮釈放を認めない条件だったにもかかわらず、フォード大統領が覆した。ハート軍曹は「私は政治の犠牲になった」と主張していた。

 死刑判決が減刑された後のハート軍曹の足取りはこれまで分かっていなかった。ピュリツァー賞を受賞した米著名ジャーナリストのリチャード・セラーノ氏が2019年、米軍の死刑制度に関する著書「午前0時の呼び出し」で新事実を発掘。本紙も軍歴を示す文書や写真を入手した。

 ハート軍曹は事件当時31歳で、嘉手納基地所属。沖縄で開かれた軍法会議で、1955年12月に死刑判決が言い渡された。

 出身地であるケンタッキー州や隣のテキサス州上院議員減刑を求めて政府に圧力をかけた。後に大統領になるジョンソン上院議員ら有力な政治家も関与し、アイゼンハワー大統領が60年、仮釈放を認めない条件を付けて45年の収監に変更した。

 ハート軍曹はカンザス州の刑務所に収監され、そこから米上院やフォード政権の司法長官宛てに、仮釈放か判決取り消しを求める嘆願書を送った。ある嘆願書の中では「私は米軍占領の終了を求める(沖縄の)反体制政治勢力をなだめるために犠牲になった」と主張していた。

 仮釈放後は警備員の職を得て81年、57歳で結婚。84年8月6日、オハイオ州の退役軍人病院で60歳で死去した。

 墓もオハイオ州にあり、墓石は従軍をたたえて米政府から贈られた。ハート軍曹は重罪の判決が確定しており、通常は対象にならないとみられる。本紙の問い合わせを受け、米退役軍人省は経緯を調査する意向を示した。

 ハート軍曹は海軍兵として第2次世界大戦にも従軍した。入隊前に性的暴行未遂と暴行の罪で11カ月収監されていたが、その事実を隠していた。

 [ことば]幼女暴行殺害事件 1955年9月4日、嘉手納村(当時)の海岸で6歳の幼女の遺体が見つかった。事件は前日発生。判決によると、米陸軍のアイザック・ハート軍曹が幼女を性的に暴行、殺害した。被害者の名前から「由美子ちゃん事件」と語られた。

▶草を握りしめた手、幼女に抵抗の跡 「鬼畜にも劣る行為」
▶刑期の半分以下「異常だ」「沖縄で起きたことだからか」
▶不明だった米国での扱い 今も続く米軍事件の不透明さ